再掲

聞くところによると、観葉行為、そして観葉植物なんてのがこのアースでは存在し、一部人民の間で隆盛を極めているという。また、よく意味が分からないのだが、ガーデニングなる謎の言葉も飛び出し、人民を迷妄にいざない、世の中を大混乱に陥れているという。庭が進行形で…? え? わかんない。え。え??

さて、この観葉というやつは実に贅沢かつ尊大な行為であるそうだ。なにせ酸素を作り出してくれている偉い植物を、人間の矮小な欲望の赴くまま、随意、配置、加工、設定、切断、破壊し、その犠牲の上で心の平穏を得んと鑑賞したり、実を食べたり、淫靡さを発見しいやらしく眺め回したりするそうなのである。ははぁ、人類、驚異的な命の恩人に対して思い切ったことをしますなぁ、蛮勇溢るるソフィスティケートですなぁ、と皮肉まじりに感心しきりである。人間の傲慢、勝手、ここに極まれりといってよかろう。

大変なのは先方である。植物さん方も必死で光合成をしていたところ、なんか動く知らない大きい奴にじろじろ、或いはにやにやと視姦されては堪ったものではあるまい。強い不快感を憶えているはずである。なんやねん、である。ストレス社会が人間だけの問題だと思ったら大間違いなのだ。監視社会とは旧東側独裁諸国だけの話ではない。水の結晶の声や、大宇宙の意志を理解してしまうような人ならば、「正直たまりませんわー」などの植物先輩方の不満の声、そして「ならばこちらにも考えがある」などと、革命の朝のいななきが聞こえることであろう。世界が植物の大攻勢と思想教育によって赤く染まるのも遠い話ではないのかもしれませんね。

それにしても、植物は本当に偉い。何せ酸素である。酸素を作り出すとは一体どういう了見なのかさっぱりである。どういうレベルのボランティアなのか。恩寵か、博愛か。ギフトか、ドロップか。下賜か、自己犠牲か。一方、我々、血の詰まったズタ袋は、せいぜい二酸化炭素と排泄物を作り出すくらいしかしていない。雲泥の差である。まぁこれはこれで役に立ってるのだろうけれど、酸素には到底及ぶべくもない。酸素!本当に偉い。ノーベル賞ものである。勲一等である。征夷大将軍である。今年の園遊会出席は間違いのないところだ。陛下が王監督の次に挨拶なさるのが植物さんだ。ヒップホップアーティストもこぞって植物さんをリスペクトしたソングを歌うだろう。俺植物先輩のことマジ尊敬しますよ! 枯れても武器として使えるし! 一生リスペクトですよ!

そして私は枯れ木を引っこ抜きぶんぶん振り回しウィーザー絶唱しながら家路を急ぎ、帰路、職務質問を受け大変な目に遭ったのであった。