ミケ蔵は伸びる。全ての猫はひっぱると伸びる。世の中には伸びないものもあるが、猫は無条件に伸びる。僕が捕食者や敵対勢力である可能性はゼロでは無いのに、徹底的に油断し、物憂げににゃあにゃあ鳴き、愛撫に身を任せ、抵抗無くずるずると際限無く伸びる。

軍事行動では、夷陵の劉備軍や南方諸島での日本軍を例に出すまでもなく、補給線を伸ばしすぎることは悪手の最たるものとされる。遠からずそれは、敵に分断される、各個撃破され、殲滅され、大敗北へと陥る。もっともやってはいけないことなのだ。兵站の限界値を元にしか戦争をやらなかった曹操は本当に偉大だったといえよう。

それなのに、この馬鹿猫ときたら……! その伸びきった身体を攻撃されたらどうするつもりなのだろう。僕はミケ蔵の危機意識の無さを責めなじる。

「おまえらを猟奇的に殺害する許し難い犯罪が跋扈する昨今において、僕が善人であったことに感謝するのだぞ」
「にゃあ」

などと恩着せがましく話しかけながら、伸ばし、転がし、遊ぶ。僕の熾烈な叱責がよほど身に応えたのか、「みゃあ」との声と共に、ミケ蔵は猫なでパンチを非常に緩慢とした速度で放ち、抗議の意を示す。あっさりと躱しカウンターを決め

「ふん、ばかめ。僕は何時までもおまえに構っているほど暇では無いのだ」
「みぃ」

と悪態をつき、後ろ髪をひかれながらその場を離れ、適当に歩き、本を一冊抱え、喫茶店に入る。気がつくと日は暮れかけ、一日があっという間に終わる。この季節の新宿の空は、午後七時少し前が一番きれいだ。昼間の馬鹿馬鹿しさが沈静し、覆い隠されかけ、別の種類の狂騒が蠢きだす寸前の空。