吉祥寺で三時くらいから焼き鳥とビール。

一人というのは気楽だが味気ないな、と思い立ち、吉祥寺に住んでいる知人を呼び出す。魚山魚子さん(さかなやま・うおこ)は、二十代後半だが、生涯の労働日数は10日に満たないというプロのニートである。筋金入りの無職である。家が金持ちで、聡明、風貌も良しという素晴らしい女性だが、変態である。少年愛と二次元愛にのみ生き、そういった類の執筆活動も行っている。しかし勇気が無く、少年愛を現実に実行したことは今まで無いようである。

決定的な欠落があり、それを埋めようともしない、実に堂々とした病気持ちである。僕も病気であり、その部分を知る数少ない友人である。

「久しぶり。半年ぶりくらい? 働いたりした?」
「アイスクリーム屋で二日働いたよ!」
「すごいじゃん。生涯労働日数、十日こえた?」
「まだ八日だよー」
「いやあ、関東大震災来たら真っ先に死ぬねー」
「あはははー死ぬよねー。スキルがアイス盛れるだけだからねー」
「震災下では保冷機材無いからね−。ネットゲーは強くなった?」
「いやー、わたしも充分廃人なんだけど、上には上がいてさー、なかなか。君はいま何やってんの?」
「本読んだり酒飲んだり猫と話したりだねー」
「わー、だめだねー。サイトはまだやってるの?」
「この間、新しいの始めたんだ。テーマは、猫と闇について、だよ。魚山さんのこと書いていい? 変態の知人がいます、って」
「うわぁ、テーマの意味、全然わかんないねー。別にいいよー」

おっさんらに混じり、だらだら一時間半くらい飲んでると、あまり酒の強いほうではない魚山さんが「もうすぐネトゲを始めなきゃいけない時間だ」「わたしがいないと回復が……」「みんな死んじゃう……!」と急に情緒不安定になりだしたのでタクシーに乗せた。「稲垣足穂だけは生かしておけない」と不穏で無茶苦茶なことを喚いていたので心配だ。魚山さんは僕を異性とは見なさずにべらべらと独自の論理をまくしたててくれるので、とても大事な友人だ。ネットゲーの世界で誰よりも幸せになってほしいものだ。

その後は井の頭公園をうろつき猫を探したが熱意は空を切り収穫はゼロであったので落胆し帰宅し不貞寝した。



彼とは鎌倉で出会いました。

その見事なパンク・スピリットに僕は感動し、畏敬の念を込め、ストラマーと名付けました。

あらゆる体制側を攻撃する過激な表現とは裏腹に、表情は竹林の七賢の御一人かと見紛うばかりに、虚無と静謐に満ちています。ショーペンハウエルを読んだあと、人はこういう顔つきになるようですが、はたして彼は何を見てきたのか。

「あなたは法と戦ったのですか。そして法が勝ったのですか?」

訊いてみたのですが、憂愁のパンク・ロッカーは黙して多くを語りませんでした。返答としての「みぃ」の一声から我々は察し、学ぶしかありません。

彼は、体制を覆すためには、現状を破壊するには、皮肉にも、こちら側にこそ秩序が存在していなければならないことを知っているようでした。その黄金比で構成される凛とした姿勢からは、保身のための醜悪な秩序は一切見受けられません。美しく、気高い、聖戦のための秩序を全身で表現しているようでした。

一時間ほど前に購入した煮干しを与えると、たちまちにして反骨は霧散し、ホワイトライオットは消滅しました。しかし、目先の欲望に耐性のあるパンク・ロッカーなど信用なりませんので、「これはいよいよ本物だ」と僕は呻き、煮干しのお礼を頂戴せんと、肉球と尻尾を存分に触らせて頂きました。その後、僕は鶴岡八幡宮に参拝、あのやたら長い階段で転落し帰らぬ人となったのです。


抱えている諸問題が、どれもこれも、猫一匹飼えばほとんど解決する、という結論に達する。

しかしながら我が家は零細マンションであり、ペット禁止で、台所の壁の一部分が薄く著しく安普請で、隣人の生活音が響き、とても猫を飼える環境には無いのである。たちまちにして「通報→土下座→強制退去→路頭に迷いホームレス化」なのである。

猫。

猫さえいれば、僕の不安、焦燥、孤独、不穏、全てたちまちにして霧散することは間違い無いのだ。

しかしながら!

僕は草食動物のようにルールには従い、お上の言うことにヘーコラするような人間なので、「禁止」と定められている住居にて、猫を飼うような勇気が無いのである。隣人は謎のおっさんなため、あらゆる手段を講じ言いくるめることは容易であると思う。

しかし、場の秩序などという極めてくだらないものに包囲され、従うことを良しとしてしまう自分がおり、どうしても突破することが出来ないでいる。

猫。

猫。

猫。

三毛。虎。ぶち。まだら。純白。漆黒。

あんなにも傲慢と甘えを両立させ、かつ、媚びもせず、支配を拒む生き物が他にいるだろうか。本当に不思議だ。我関せず、を貫き通しつつ、生存のための一切を人間任せにし、生活に浸食しながら、媚びず、そのくせ的確に甘えを見せてくる。一方でこちらの寂しさを千里眼で見抜き、素知らぬふりをしながら埋めてくれる。普遍的なくせに、希有な。平凡であり、唯一な。愛おしい。美しい。猫。

とはいえ求めても現状、僕は猫を飼えない。

仕方ないので、住居の近くの民家にて起居し、いつも屋外をうろうろしている三毛を異様なまでに可愛がり、溜飲を下げている。

人を怖がらず、近づくと「にゃあ」と一声発し、耳をすり寄せてくる三毛。三毛なので雄ではないだろうけど、ミケ蔵(Mikezou)と勝手に名付けている。出会うたび、撫で、頬摺りし、溺愛する。

深夜に徘徊する際、たまに遭遇すると、五分ほど会話を交わす。その日考えたことを訥々と語り、「にゃあ」と返事を貰う。反論または同意として、人差し指を舐めてもらう。

猫を必要とする人の寂寥は、猫でしか埋められないのだろうか。人では無理なのだろうか。

誰かの百万言より、誰かの体温より、猫の「にゃあ」の一鳴のほうが遙かに響いてしまうのは、どういうことなのだろうか。ここが、言葉の限界なのだろうか。ぼーっと空を眺めながら、「分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ」と歌ってるように見える。猫。

再掲

聞くところによると、観葉行為、そして観葉植物なんてのがこのアースでは存在し、一部人民の間で隆盛を極めているという。また、よく意味が分からないのだが、ガーデニングなる謎の言葉も飛び出し、人民を迷妄にいざない、世の中を大混乱に陥れているという。庭が進行形で…? え? わかんない。え。え??

さて、この観葉というやつは実に贅沢かつ尊大な行為であるそうだ。なにせ酸素を作り出してくれている偉い植物を、人間の矮小な欲望の赴くまま、随意、配置、加工、設定、切断、破壊し、その犠牲の上で心の平穏を得んと鑑賞したり、実を食べたり、淫靡さを発見しいやらしく眺め回したりするそうなのである。ははぁ、人類、驚異的な命の恩人に対して思い切ったことをしますなぁ、蛮勇溢るるソフィスティケートですなぁ、と皮肉まじりに感心しきりである。人間の傲慢、勝手、ここに極まれりといってよかろう。

大変なのは先方である。植物さん方も必死で光合成をしていたところ、なんか動く知らない大きい奴にじろじろ、或いはにやにやと視姦されては堪ったものではあるまい。強い不快感を憶えているはずである。なんやねん、である。ストレス社会が人間だけの問題だと思ったら大間違いなのだ。監視社会とは旧東側独裁諸国だけの話ではない。水の結晶の声や、大宇宙の意志を理解してしまうような人ならば、「正直たまりませんわー」などの植物先輩方の不満の声、そして「ならばこちらにも考えがある」などと、革命の朝のいななきが聞こえることであろう。世界が植物の大攻勢と思想教育によって赤く染まるのも遠い話ではないのかもしれませんね。

それにしても、植物は本当に偉い。何せ酸素である。酸素を作り出すとは一体どういう了見なのかさっぱりである。どういうレベルのボランティアなのか。恩寵か、博愛か。ギフトか、ドロップか。下賜か、自己犠牲か。一方、我々、血の詰まったズタ袋は、せいぜい二酸化炭素と排泄物を作り出すくらいしかしていない。雲泥の差である。まぁこれはこれで役に立ってるのだろうけれど、酸素には到底及ぶべくもない。酸素!本当に偉い。ノーベル賞ものである。勲一等である。征夷大将軍である。今年の園遊会出席は間違いのないところだ。陛下が王監督の次に挨拶なさるのが植物さんだ。ヒップホップアーティストもこぞって植物さんをリスペクトしたソングを歌うだろう。俺植物先輩のことマジ尊敬しますよ! 枯れても武器として使えるし! 一生リスペクトですよ!

そして私は枯れ木を引っこ抜きぶんぶん振り回しウィーザー絶唱しながら家路を急ぎ、帰路、職務質問を受け大変な目に遭ったのであった。

再掲


職場の若い子にDVDや本を乱発気味に貸し、それらの背景にある一貫した流れを少しずつ示唆することにより、極秘裏に僕好みに、簡単でささやかな思想教育を施しています。その甲斐あってか先日、「中野ブロードウェイに連れていってほしい」と向こうから頼んできました。S・O・T・K(スタイリッシュ・オタク)の急先鋒たる僕としては断る理由も無く、中野デートといそしんだのでした。

過剰に晴れた小満の午後でした。彼女はまるで代官山にでも行くかのようなお洒落な格好に身を包み待ち合わせ場所に現れました。今から向かう場所への屈託の無い無警戒さに、僕の眉間はゆがみ、色濃くたしなめの色を帯びました。が、言葉にはしません。五分後には痛感することだろう、と「可愛いね」と言うに留めました。剥離は自ら悟るしかありません。

館内に到着すると、雰囲気が一変し、瞬時に訳が分からなくなりました。その瘴気とも清浄とも取れる空気に困惑する彼女を引き連れ歩き回りました。

「ここがまんだらけだよ、あらゆる、そう、あらゆるカテゴリーのまんがが集められており、その数は二万冊は下らないだろうね、あらゆる、っていう意味は分かるかい、あるいは網羅は? こういうことを言うんだよ」
「ここがレコミンツだよ、非常にナイスな品揃えのイカして狂ったCD&DVDショップさ。僕は暇さえあればここでDVDを物色しているのだよ」
「ここがタコシエだよ、きみが生まれた頃から今に到るまで前衛を貫き続けているソリッドな本屋だよ」
「ここがメイドゲームセンターだよ、全然、何もかも、意味が分からないね」
「ほら!四階の構造の訳の分からなさはまるで初期の女神転生のようだよ!ほら!見るんだ!!」

などと暗雲魍魎蠢く未知の世界を案内し、キュートなあの子が呆然としている中、矢継ぎ早に新しい混乱を与え続けました。なるべく、目の前に展開される新しい価値観と世界について、理解、整理する時間は与えないようにしました。各店舗内では、興味を示したものを自分の知識の限り、簡潔にあるいは粘質に説明し、英才教育に力を注ぎました。最終的には、ここではとても書けないようなスペシャルな本を置いているハードコアな店に置き去りにし慌てさせるなど、僕らは非常に有意義な時間を過ごしました。

館内を一通り案内したのち、僕はこう言いました。

「一時間あげるから好きなものや気になったものや何かに引っかかったものを探したり買ってくるといいよ、僕も好きなものを探しに行くよ、きみはこれから一時間、完全に自由だ」

解放後、どうしたら良いのか分からないままにふらふらと歩いていく晴朗なあの子を尾行しようと思ったのですが、さすがにそれは悪趣味に過ぎるだろう、と見送るに留めました。まぁ、僕には既に、どこまでが悪趣味の境界線なのかが分からなくなっていたわけですが……。加え、尾行に及ばなかった理由を強いて挙げれば、シュレディンガーの猫でしょうか。僕が観察した結果、ヴィヴィッドなあの子の自由意志による行動に影響が出てしまうのでは、これはいけません。僕は、一定の筋道を示し、ある程度の示唆をほのめかすだけです。結果は、あるがままに任せるのみです。結果はさほど重要ではない、という僕の美学に基づいた、という答えも出せるかもしれません。

ともあれ、夏よりは秋が似合うあの子が何を買ったのかは知りませんし、聞きませんでした。何かを買っていたようですが、一切、訊ねませんでした。向こうは何故聞かないのか不思議そうでしたが、けっして興味が無いわけではなく、何らかのいびつな理由からであることは察してもらえたようでした。聡明な子です。

そうこうしていると外はもう暗がりを見せ帷が降りていましたので、吉祥寺に移動し、食事と少しばかりのお酒を嗜み、話をし、僕は中央線の東側に、ひとつに束ねた髪の毛が素敵なあの子は西側に、それぞれ別れました。